台風が近づいていた。海は波を振り乱していた。浜辺に備えつけられたスピーカーは、「遊泳禁止」であることをがなりたてている。和歌山県、磯ノ浦ビーチ。ここは、近畿地方でも指折りのサーフィンのメッカだ。その日も、台風から生まれた大きな波に乗ろうと各地からたくさんのサーファーが集まっていた。警報も警告もお構いなし。そして僕たちも、そんな連中のひとりだった。
「これは、すごい波やな」一緒に海にやってきた北室和茂が、アメ玉をもらった子供ような顔をしながら言った。
北室は僕の小学校からの友だちで、もう二十年以上も付き合っている。お互いの家族ですら知らないことを知っているという古い仲だ。いまはともに故郷の和歌山を離れ、北室は神奈川県に、僕は東京で働いている。しかし、毎年夏休みには和歌山に帰り、親しい仲間とキャンプをすることが、ふたりの大きな楽しみであり、また約束であった。その夏も僕たちはキャンプを行い、磯ノ浦にやってきたのは僕が和歌山を発つ前日だった。
「今日も絶対、誰か死ぬぞ」笑いながら僕が言った。実際、この海では毎年多くの人が亡くなる。そのほとんどが子供だが、サーファーも少なくない。ゆるやかで広いU字型をした海岸付近には波や風を瀬切る遮断物がなく、いつも高い波がたっているためであった。岩場の多い海岸の右側はサーフィンの認可区域、左側の端はテトラポットがいくつも連なり、絶好の釣り場となっていた。もちろん真ん中は一般の海水浴場である。
「警備のおっさん、うるさいなあ。こんな日に波に乗らんかったら、いつ乗るんや?」北室がそわそわしながら、スピーカーを一瞥した。僕は北室を見ず、海を眺めたまま言った。
「早く、行こう。いい波をとられる」
ふたりは車のトランクからブギーボードを取り出すと、早足で浜辺に駆けていった。もちろん、海水パンツはすでにはいてある。眼前に広がる海は、まるで大きな生き物のようだった。濃いブルーの水塊が重なり、うねり、号泣しながら暴れていた。恐怖は感じない。僕は磯ノ浦の男性的な荒々しさが好きだった。海以外の余計なものはない。洒落た店もなければ、公営のきれいな脱衣所や手洗いもない。県外からたくさんの人々が訪れるのに、昔ながらのくたびれきったボロボロ木造平屋の海の家が寄り添うように砂浜で手をつなぎ、海で必要なだけのサービス、食べ物や飲み物を与えている。ここでの潮の薫りはコンクリートの隙間を通らず、あくまでも海、風、太陽などの自然のなかで研ぎ澄まされたものであり、粗削りではあるが純粋で濃厚な香味を含み、ときには舌を引き締められる思いがする。広い砂浜。打ち寄せる波。見渡す限りの大海。磯ノ浦は子供の頃から親しんできた僕の海だった。
北室がブギーボードを右手に抱え、海に入る。遊泳区域の海岸では波と戯れている人々がまだ多くいたが、浮き輪関係で遊んでいる者は、ひとりもいなかった。余りにも波が高く、流れも早いので浮き輪などはすぐにひっくり返り、流されてしまうからであった。僕はブギーボードを頭の上に掲げ、北室の後に続いた。
「ブギーボード」は「サーフボード」に比べ、より波と一体化できる波乗りだ。大きさはサーフボードの半分程度。ビート板の大きな奴だと思えばよい。それを両腕に持ち、胸、腹に押し当て、うつぶせの状態で波に乗る。このブギーボードよりも波と一体化できるものに足ヒレのみをつけて波乗りをする「ボディサーフィン」があるが、これは方向の自由が余りきかず、波に乗るまでずっと自力で浮かんでいなければならないので実に大変だ。またブギーボートには、サーフボードが禁止されている区域でも乗れるという大きな利点があった。手軽に運べて、手軽に遊べて、本格的な波乗りができる。ブギーボードを選んだのはそんな理由からだった。
ブギーボードを胸に抱え、ふたりは海に向かっていった。大きな波が、次から次へと押し寄せてくる。よく「波を乗り越えていく」というが、それはまだ崩れていない波の場合で、一度崩れてしまった大きな波は乗り越えようとすると波に飲み込まれ、まるで洗濯機に放り込まれたようにモミクチャにされながら、凄いスピードで浜辺に押し流されてしまう。だから崩れた波の場合は下に潜り込むのが正解である。そうしていくつかの波を乗り越え、また潜り進んでいくと海が悠々におとなしくなる。海岸からは見えない別の顔を僕たちに見せてくれる。DARK
SIDE OF THE SEA。そこで僕たちは崩れる間際の大きな波の到来を待つ。海の懐は蒼茫に静かにうねり、荒れ狂う波より危険な鋭さを秘めている。
北室が一足先に波をつかまえる。真剣な面持ちで波に乗っていく。僕はその波を潜り進み、次の新たな波を待つ。北室より、いい波がきた。「ざまあみろ」と独り言を言いながら、方向転換をし、腕で大きく波をかく。波が自分を包み始める。海と一体になる。機械的な乗り物からは生まれない緊張と興奮が体を駆けめぐる。アドレナリンが騒ぎ始める。頭のなかにあるのは、この波をいかにうまく乗りこなすかだけだ。その日は、まるで自分がこの海を支配している、そんな気を思わせる偉大な波が次々に訪れていた。
お互いに数回、波乗りを終えた頃だろうか。ボードに身をあずけ、休んでいる僕のもとへ、北室が腕でパドリングしながら近づいてきて言った。
「もう少し沖に出て、もっと大きな波、つかまえへんか?」
僕はちょっと出し惜しみするような感じで
「大きな波、くるかなあ?」と海を見ながら言った。
「くるって。さっき、ブイの近くまでいって見てきたから」北室が言った。
はやる気持ちを押さえながら「それなら、行こか」とつまらなさそうに僕が呟くとふたりして波をかき始めた。
かなり沖まできたとき、それまでの疲れが出たのだろう。僕は波に潜るタイミングを誤って、砕け散った怒濤に飲み込まれてしまった。突風であおられた紙切れのように体がキリキリと回る。上下左右の感覚が失われる。ただ、強い力が自分の体をひたすら押し流していくのが分かる。絶望。屈辱。不安。こんなとき、最高の脱出方法は、波の力が弱まるまでひたすら待つことだ。いくら逆らったところで、逃れることは出来ない。慌てて水を飲んで死ぬのがオチである。無駄な抵抗はせず、波に体をあずける。そして流れが弱くなると、泡の動きをしっかり見て、海面に向かって泳ぎ始めるのだ。
海面から顔を出し、あたりを見渡すと海岸がすぐ近くにあった。北室は米粒ほどの大きさになっていた。せっかくの苦労が水の泡。一瞬にして、スタートに逆戻りだ。「まいったなあ」と心のなかで呟きながら、けだるそうにパドリングをし、北室の場所へと向かう。
ようやく北室にたどり着くと、彼は沖を見ながら「もうちょっと先やな」と言った。
「まだ行くんか?」ぐったりしながら僕が言った。
海岸からかなり離れたふたりの場所は、比較的穏やかになっていた。小波はふたりを通り越し、海岸付近で大きく崩れ始める。だから、大きなうねりはあっても、白波を立てて襲いかかってくるようなものは少ない。が、くるときは、ほんとうの大波がやってくる。僕がもう一度、北室に言った。「もう、このあたりでええんとちゃうか?」
「いや、もう少し行くとブイがあるんや。それを越えると、波がもっと穏やかになって、ゆっくりと大きな波を待つことができる」
ふたりは進み始めた。まもなくロープでつながれたブイがあった。これはもちろん「ここから沖へ出てはならない!」という印である。北室に続いてロープをくぐり抜ける。そこには、初めて見る海の顔があった。
北室の言ったように、ほんとうに穏やかだった。というよりも余りにも静かすぎて、不気味ですらあった。ひっそりとして寂しげで、それでいて台風による絶海のエネルギーが力強く渦巻いているようであった。スピーカーの声も、浜辺のざわめきも、聞こえなかった。ただ、風が冷たく淋しく鳴いていた。いつの間にかふたりきりになっていた。いや、正確にいうと「ひとり」ともいえる。僕は、恐怖を感じた。
ボードに仰向けに乗り、灰色の空を見ながら
「なあ、俺の言うた通りやろ」と北室が言った。
「まあな」冷静なふりをして答える。
緊張による気疲れとパドリングによる過労で、ふたりは海面にプカプカとしばらく浮かびながら、ボーとしていた。
異変に気づいたのは、僕が最初だった。
「おい、さっきから波がまったくこないぞ」
僕はボードから身を起こして言った。
北室は仰向けからうつぶせの状態に戻りながら
「そうやな。ちょっと遠くまできすぎたかな。戻ろか」とのんびりした口調で言った。
ふとまわりを見ると、ブイからかなり離れていた。ふたりはブイに向かってバタ足をし、手で波をかき始めた。
そのとき、ふたりは、ハッキリと悟った。
流されている。
「おい、思いっきり、かけ。ヤバイぞ」ヒステリー気味に僕が言った。
「分かってる」北室は答えたが、その声に余裕は感じられなかった。
ボードの上で手と足を汲汲と動かす。しかしいくらもがいても、ブイは一向に近くならなかった。むしろ、遠ざかっていくように感じた。自分たちの体は、浜辺の左側に向かいながら、横に流されているようであった。
その方向を見た僕の目に、恐怖が突き刺さった。そこには巨大なテトラポットが七、八十メートルに渡り、折り重なるようにしていくつも並べられてあった。そのテトラポットをめがけ、白くイキリ立った怒濤の波が勢いよくぶつかり、砕け散り、轟音を響かせていた。
「テトラポットに流されている」北室が海水を飲みながら叫んだ。
「あそこにぶつかったら、死ぬぞ」
死ぬという言葉を口に出して、僕は自分で怖くなった。僕も、北室も死に物狂いで手足を動かした。
しかし、まったく無駄であった。巨大な海のエネルギーの前では、人間の力など微塵であった。そこには長く親しんできた楽しい磯ノ浦の海の表情は見えなかった。
ふたりは、テトラポットに押し流されていった。近づくにつれて、崩れた高波がいくつも襲いかかり、加速度がついた。テトラポットまで、もう距離がなかった。否応なしにテトラポットの姿が目に飛び込んでくる。ひとつの大きさは約四メートル。四本足の大型な奴だ。その表面はサザエやらフジツボやらがびっしりと張りつき、雑で錆びついたオロシガネのようであった。
大きなうねりがやってきて、僕の手前で大きく崩れた。僕の体は白波とともに凄い勢いでテトラポットに激突した。体中の骨がきしむ。肌全体が、目の荒い鉄ヤスリでこすりつけられるようにコンクリートの表面を嘗めた。顔、手、足、胸、背中。貝類によって切り刻まれた体のいたるところから血が吹き出しているのが分かる。しかし、まだ僕の知らない恐怖がそこにはあった。テトラポットは、隙間を残しながら幾重にも積み重なっていた。そう、予想より、深い場所まで。その隙間に荒れ狂う大波が僕を押し込もうとしているのであった。
波は僕の体をアチコチへぶつけながら、コンクリートの隙間、海面の下へ、下へとギシギシと深めていった。成す術はない。ただ、押しやる手が終わるのを待つばかり。潜るにしたがって、暗くなる。ようやく体が止まった頃には、まわりはまったくの暗闇であった。「死ぬな」と思った。生まれて初めて、そう思った。恐怖よりも、そのときは後悔の念が強かった。海を余りにも甘く見すぎていたのだ。警告をまったく無視した自分が恨めしかった。まさか今日、磯ノ浦で死ぬのが、自分とは。僕は意外にあっけなく死んでしまうのだな、そして人間とは意外にあっけなく死んでしまう生き物なのだな、と思った。
そうして一度、死を認めてしまうと、不思議なことにリラックスした気分になった。心に余裕が生まれてきた。手足を動かして見る。ズキズキと痛むが、しっかりと動かせる。脱出することが頭に浮かんだ。自分でも驚くほど、落ち着いていた。
泡が見えないので、体が浮上する勘に頼り、テトラポットの隙間をかき進んでいった。水のなかで呼吸が苦しかったはずなのだが、そのことは記憶にない。恐らく自分が感じたよりも、ずっと短い時間内の出来事だったのだろう。やがて、まわり全体がうっすらと明るくなってきた。恐ろしく深いブルーの風景がまとわりにつく。そこを過ぎるとコンクリートの裂け目から一片の明るい光が見えた。
「やった!」
海面から顔が出る。そのときの海の顔が、今も脳裏に焼きついて離れない。濤声が怒りたけり、荒々しい風景にもかかわらず、まるで音のない無声映画を見ているようであったのだ。海と空からつくられたその光景は、色のない白黒の世界であった。
空気を吸った僕は、そこで初めて「生きたい」という欲求を取り戻した。まるで夢から目覚めたようであった。
「次の波がくる前に、上へ駆け昇れ」自分で、自分に命令していた。自分とは別の力強い声が、頭のなかで叫んでいた。
海を見ると、もうすでに次の大波が白く荒立ちながら轟音とともに近づいていた。急いでテトラポットを登ろうとした瞬間、僕の左手首を何かが力強く引っ張った。ブギーボードとつながれているロープであった。ボードがどこかに引っかかっているのだ。必死になって、両手でロープを引っ張る。引きちぎろうとしたのだった。一度、目覚めた「生きたい」という欲求は、理性を完全に狂わせていた。手首のロープはマジックテープで結ばれているので、落ち着けば簡単にはずせる代物であったのだ。しかし、刻一刻と近づく怒濤を見た僕の頭は、ロープを引きちぎることしか考えられなかった。やがて、大波がやってきた。
またしても、深い穴へと押し込められていく。全身切り傷だらけだが、気にはならない。ただ「生きたい」という気持ちだけがそこにはあった。生き残れるのであれば、どんな怪我をしようと構わないと開き直っていた。テトラポットの壁に顔を押しつけられ、アゴがざっくり切れるのを感じたが、我慢して体が静止するのを待った。
二度目の脱出は、一度目よりも容易であった。しかし今度は、海上に顔を出した途端、次の波が襲ってきた。そして、暗闇。
体は、もうボロ切れのようになっていた。もし、あそこで負った傷のことを心配していたり、新たに傷を負うことを恐れていたりしたら、きっと死んでいただろう。恐怖の余り、前に進めなかっただろう。僕の頭には生き残ることしかなかった。力を抜くことなど出来るはずがなかった。死の淵が大きな口をガバッと開けて、いまにも自分を引きずり込もうとしているのだ。波の力が弱まると、無意識のなかで僕は暗澹の海を海面目指して登っていった。
「そこを右に。次は左。よし、そのまま真っすぐ。その調子。がんばれ」
落ち着いた声で、誰かが話しかけていた。
「おまえは、ここで死ぬべきではない!」
そうだ、こんなところで死ぬわけにはいかない。まだまだ、やりたいことが一杯ある。やらなかきゃならないことも一杯ある。僕は、ここで死ねない!
自分でも気づかなかった不思議な力が、ガタガタに蒼然とした体を動かしていく。
大気が顔に触れる。波はまだやってこない。左腕を引っ張るとブギーボードが体に近づいた。波の力で外れたのだ。ボードを左脇に抱え、テトラポットを駆け登る。白波が足元で砕け散った。僕は死んでも離すものか、という気持ちで針山のテトラポットにしがみついた。冷たいしぶきが飛びかかってきた。全身の血が洗い流された。しかし、体は流されはしなかった。
数段に積まれたテトラポットを上まで上がると、もう波はこなかった。浜辺に向かって歩き始める。全身血だらけであった。特に、ヒジ、ヒザ、アゴなどの体の突出した箇所の傷がひどい。背中も見えないが、ズキズキと痛んだ。しかし、その痛みも気にならないくらい嬉しかった。生きていることだけで、純粋に喜ぶことができた。このときほど「助かった」と思ったことはない。少し落ち着くと、北室が急に心配になってきた。そうだ、あいつは大丈夫だったのだろうか。慌ててテトラポットの下を覗きこんでみる。いない。ますます、心配になる。ひょっとすると、あの穴のなかにいるんじゃ…。海全体を目を細めてよく調べてみる。いた。テトラポットから少し離れた海岸付近の海を、ボードを頭の上に掲げながら歩いていた。どうやら北室も僕を探しているようであった。「北室!」僕は叫んだ。
彼は、きょろきょろとあたりを見渡し、上方にいる僕をようやく見つけると片手を上げて力なく笑った。どうやら彼は無傷らしかった。
浜辺に近づくにつれて、僕は人々の注目の的になった。ふたりの荷物が置いてある砂浜に行くと、北室が先に着いていた。
「どうしたんや、おまえ!」
北室は僕の体をジロジロ見ながら、心配そうに言った。
「テトラポットにぶつかった」元気そうに僕は答えた。
「ちょっと待っとけ。すぐ薬もらってきてやるから」
北室は警備でがなりたてているおっさんのところに走っていった。
体中がジンジンして、熱を持っているようだった。自分の目からは見えないアゴの傷と背中の傷が心配であった。人目を避けるようと体に羽織ったバスタオルに血がにじみ始めた。
北室が消毒薬を持ってやってきて、体に塗るというよりも、浴びせかけた。骨まで染みるような痛みに、悲鳴を飲み殺した。僕は平然を装いながら北室に尋ねた。
「なあ、僕のアゴ、どんな感じや?」
彼は覗き込むようにアゴを見ると、深刻な顔をして
「かなり、深く切れてるけど、大丈夫や」と言った。
「背中はどうや?」
「たぶん、大丈夫や」
何がどう大丈夫なのかサッパリ分からなかったが、それ以上聞かなかった。
その後、僕は北室に連れられて病院に行った。受付けの若い女性が一枚の用紙を僕に渡し、まずこの質問項目に記入するように、と事務的に言った。住所や名前の他に、怪我をした箇所と状態を書く項目があった。
「おい、北室。この怪我の箇所は、どう書けばええんや?」
「やっぱり、『全身』と違うか」
「そうかなあ。特に怪我のひどい場所と違うかなあ。『アゴ』とか『ヒザ』とか。『全身』というのは、おかしいで。火傷やないんやから」
そんなことでモメている場合ではないのだが、僕は男として余裕を見せたかったし、北室は出来る限り心配している素振りを見せないようにしていた。そして、ふたりとも笑いを欲していた。
「ちょっと受付けのねえちゃんに聞いてくるわ」
そう言って、僕は受付けの窓口に顔を出した。
「すいません、ここの欄なんですけど、『全身』と書いていいんですか?」
「えっ、何ですって?」
受付けの女性は、そのとき初めて僕の顔や体の傷に気づいたのだった。彼女は甲高い声で言った。
「診療室に入ってください。すぐ、治療します」
「どうも」と僕は言った。話を聞いていた北室と顔を見合わすとお互いにニヤッと笑った。 主治医は僕の傷をひと通り調べ終わると「大怪我や」と看護婦にニヤついて言った。それを聞いて僕は少しほっとした。
骨は折れていなかった。アゴ、右ヒザ、そして背中の傷は非常に深かったが、たぶん縫わなくても大丈夫だろう、と主治医は言ってくれた。それよりもむしろ、傷口から菌が入り込んで起こる破傷風を彼は心配しているようであった。
「あんたは、運がいいな」
看護婦の手によって体中を包帯でグルグル巻きにされている僕に主治医が言った。
「ときどき、あんたみたいにサーフィンで怪我した人がくるけど、どれもこんなもんやない。普通、救急車でかつぎ込まれてくるんや。骨が折れてな。あんたも頭を打ってたら、今頃…。ほんま、ついてる人や。感謝せなあかん」
考えてみれば、ほんとうにそうであった。死んでいる方が、むしろ自然であった。頭を打って気絶していたら一貫の終わり。そうでなくても海水をガブ飲みしていたら…。喉を切っていたら…。手足の骨を折っていたら…。あのままボードが外れなかったら…。
手当て受けながら海で起こった一連の出来ごとを僕は思い返してみた。何か見えない力が、自分を助けてくれたような気がしてならなかった。真っ暗な海の鍵穴から三度も這い上がってきたのは自分自身でないような思いすら感じていた。僕を励まし、動かしていった声は、自分の声だったのだろうか。
北室は僕を家まで送ると「それじゃ、またな」と言っていつものように帰っていった。
家に帰った僕の姿を見て、母親は仰天した。服装はTシャツにショートパンツと同じだが、およそ目に見えるすべての箇所に包帯が巻かれていた。特に両ヒジと両ヒザにはガーゼが貼られ念入りに巻かれているので、まるでサポーターでも着けているようであった。顔にもハガキ大の絆創膏がアゴを中心に貼られていた。大怪我には違いはないが、頭や骨に異常がないことを話すと、母親は安心したようであった。
ソファーに体を横たえ、自分で招いた大厄とそこから逃れた開運について考えながら少し眠った。
傷の痛みから一時間ほどで目が覚めた。
「そういえば、長い間、あの人たちに会ってないな」
ソファーから起き上がり、切り傷だらけの手で車のキーを握ると家を出た。歩く度に体がきしむ。油の切れたロボットは、このような心境かも知れない。
それから僕はミイラ男のような格好で八年ぶりに墓参りに行った。
その日は、八月十八日。僕の二三回目の誕生日であった。
あとがき
以来、僕は運命について真剣に考えるようになった。死を無闇に恐れないようになった。慎重になったともいえるが。自分にできるものであれば、恐れないで立ち向かっていく少しばかりの勇気が身についた。
人間がいつ死ぬか、誰にも分からない。死は恐ろしく隠微で曖昧で無情で不公平であり、かつ明瞭で確実で恒常で公平だ。飛行機事故で亡くなる人がいる。人はいう、「もう、あと一便遅らしていれば助かったのに」と。しかし、僕は思うのだ。もし、あと一便遅らしていても、いやたとえ飛行機に乗っていなくても、その人は亡くなったのではないか、と。その人はそこで死ぬ運命であったのでないか、と。
自ら命を絶たぬ限り、死は生と同じで選ぶことができない。自分の生まれた時代や場所をアレコレ悩んでも仕方がないのと同様に、人がいつ死ぬか、それは決められたことなのかも知れない。だからこそ、生と死の間で一生懸命に生きることが大切であり、意味をもってくる。そのなかで人間は運命を支配できる。
僕は、生き残った。